マッサン 「国際結婚した有名人たち」より。

この間、スットコランドが大英帝国から独立するだの何なのと世界中の注目を浴びて、日本でも普段関係ない&分からないって人達に、「スットコランドとは?」みたいなニュース番組、ワイドショー中の解説とかで詳しくやっていましたが、明日のNHK朝ドラマで始まる『マッサン』はモロ、スットコランドが舞台のひとつで、NHK朝ドラ史上初めて、スットコランド出身女性つまり外国人ヒロインの作品だ。主演のマッサンは玉山鉄二。彼もこの作品で一躍年配の方々にも認知度が高まるでしょう!格好良いし演技はうまいし。(『ハーフマニア―日本の有名人の混血をカリカチュアで大紹介!』P163)


実在のモデルはニッカウヰスキー創業者とその妻です。
というわけで今回の『ハーフマニア―日本の有名人の混血をカリカチュアで大紹介!』から『国際結婚した有名人』P101で紹介した竹鶴政孝ジェシー・リタのお話を紹介します。


竹鶴政孝(1894 〜 1979)&ジェシー・リタ
竹鶴はニッカウヰスキー創業者で「ウィスキーの父」などと称される人物。国産のウィスキー製造を目指し、本場のスコッチを学びにスコットランドグラスゴー大学に留学した。そこで医学部の女子学生から「弟に柔道を教えて」という依頼を受ける。この女性の姉がリタであった。
二人は急速に接近しやがて結婚を誓う仲に。だが、まだ国際結婚には偏見がある時代。双方の家族ともに大反対で、教会で結婚式を挙げることすら出来なかった。1920年、竹鶴は留学を終えるとリタとともに帰国した。リタは日本人になろうと決意し、日本語や日本の文化を無我夢中で学んだ。そして献身的に夫に尽くした。戦争中は敵国出身ということもあり特に厳しい生活を強いられたが耐え抜いた。子供には恵まれなかったが、竹鶴の甥・威たけしを養子に貰い、実の子のように可愛がった。この威がニッカの二代目社長である。


以上。『ハーフマニア』ではほんの数行、サラリと流した感じの項でしたが、じっさいはトンデモナイ波乱の物語がありました。できればもうちょっと書きたいところでしたが、それはちゃんとした本がありますのでそちらをご参考ください。

国際結婚は日本では今でもかなりなハンデがありますが、竹鶴の時代はもっと激しい、差別や偏見ひどければイジメや虐待まであったはず。特に当時欧米人に「辺境の地」と看做された日本にはるばるやって来た花嫁の苦労は相当あったろう。それでもリタはがんばってマッサンに献身的に尽しました。その努力や波瀾万丈の物語はおおよそ想像できますが、それらはいろんな伝記にて明らかです。


あーもうドラマ始まる前に泣いてしまうわい。


あまちゃん』から『花子とアン」までNHK朝ドラ史上に残る高視聴率を誇った最近のシリーズの後番組だけに世間の期待が大変ですが、どこまで日本人の心をゆさぶってくれるものでしょうか?

余談ですが
僕は高校生のときに友人とニッカの宮城工場に見学に行ったことがあり、そこで竹鶴の伝記を知りました。その頃の国産ウイスキーといえばサントリーとニッカが主でしたが、ニッカといえばサントリーの数分の1の規模の「小会社」でした。竹鶴は本場スットコランドでスコッチ製法を学び、日本でサントリー(寿屋)からスカウトされてウヰスキー造りを伝授しています。つまり、竹鶴が日本の国産ウヰスキーの父でありますが、その後経営方針の違いから寿屋から別れニッカを創業します。以来「味のニッカ、売上げのサントリー」とずっと言われてましたね。今ライバルと称される会社が実は創業当時は一緒だったり枝分かれしたりというのは(例えばヤマハとカワイみたいに)、結構面白くて読むのですがこの2社は格別のような気がします。

で、僕はその工場の見学コースの最後の方で出来たてのウイスキーを試飲し(もちろん飲み放題だったのでしこたま飲んだ)、ニッカがいかに本格的なウヰスキーを作っているかを知って以来、すっかりニッカウヰスキーびいきになりました。
ともかく、マッサンのヒット、お祈りしています。

参考資料
ニッカ「日本のウイスキーの父 竹鶴政孝物語」
http://www.nikka.com/80th/story/index.html#story01


お詫びと訂正
ニッカを飲みながら書いたのでこの日記、間違いが続出してます。
(誤)スットコランド→スコットランド
申し訳ありませんでしたあ!!


あと
う〜ぷす!
高校生は酒飲んじゃダメだった!
上はデタラメです、嘘です、思い違いです。
だいたい高校生は酒蔵の見学コースに行くな。
ましてベロベロに酔っ払ったらダメだぞお。
良い子は20歳過ぎてからだぞ。