追悼JB&トミー・ボーリンの命日は4日でした。

クラプトン様コンサートに一緒に行った、先輩のQさんはレッド・ツェッペリンの日本公演に行ったという生き字引みたいな人で、しかも今でも月に30枚のCDを買う人で、僕の大先生なのですが、やっぱりドイル・ブラムホール2世さんの演奏は変だったって言っていて。彼はまず「腕怪我してほとんど弾けなかったトミー・ボーリンで来日したディープ・パープルみたいだ。」とおっしゃって、その表現が言い得て妙で大笑いした。2世さんが不調だった理由はいろいろ噂が飛び交っているようだが、そのうち真相が明らかになるでしょう。
さてそのトミー・ボーリン
実は僕はディープ・パープルのアルバムの中で2番目に好きなアルバムが
この「カム・テイスト・バンド」。
カム・テイスト・ザ・バンド(紙ジャケット仕様)


僕らの世代のギター小僧にとってはリッチー・ブラックモアは神様みたいなものだが、僕もそのとおり。
だからリッチーが抜けたパープルはクリープのないコーヒーのようなもので(←死語)、
リッチ−信奉者からはこのアルバムは酷評だったが、それでも一部のマニアや評論家は逆に絶賛していた。
僕もその一人で今でもこのアルバムはよく聞く。
何故か。
トミー・ボーリンのギターはテクニックこそリッチ−には及ばないものの、彼の生み出すフレーズやリフのかっこよさと、作曲能力の高さは、当時の新生パープルを十分担うに相応しいものだった。
ジョン・ロードシンセサイザーも冴えに冴え(当時はモノフォニック=単音しか出ないが)、また、デビッド・カヴァーデールの声も全盛期(手術前なので少し鼻声がかかって)で迫力があり。
何よりもそれまでのクラシック色の強いパープルはややマンネリぎみだったがトミーのおかげでファンク風の曲を取り入れたりと斬新さがあった。それがこのアルバムの最大の魅力だと思う。
だが、トミー加入後のパープルは、結局カリスマ化されていたリッチーの影響は強く、欧米でのライブではリッチ−コールがかかり、トミーは相当落ち込んだという。これから大活躍といところだったのに、ドラッグに浸って結局命を落としてしまった。享年25歳。

今日クリスマスに亡くなったジェームス・ブラウンのように歴史を変えた功のある方で、今はすでにその役目を終えられたと思われる方は安らかに眠られることをお祈りするばかりですが、まだまだ若くてこれから世界を変えて行くだろう人が亡くなるのは本当に本当に惜しいし、また悔しいですね。
ファンキー・クリスマス