訃報・山口淑子 波乱の人生

歌手、女優、ジャーナリスト、政治家といくつもの肩書きを持っていた山口淑子が亡くなった。僕のサイト『「洋画・洋楽の中の変な日本・がんばる日本』でも世界で活躍する女優のページで紹介しています↓
http://www.yunioshi.com/japaneseinmovies2.html#Anchor330887

ハーフマニア 日本の有名人の混血をカリカチュアで大紹介!』では「偽ハーフ」(P93)のコーナーで紹介しています。以下はその文です。


山口淑子(1920 〜)
両親ともに日本人で中国で生まれる。戦前は中国娘「李香蘭(りこうらん、リシャンラン」の芸名で歌手として売り出し、戦後は山口淑子と名乗り日本映画に出演。またアメリカに渡ってシャーリー山口の芸名でも活躍した。後にアラファト議長へのインタビュー番組を手掛けるなどTV製作に手を広げて高い評価を得て、政治の世界へと転身した才女。ジャーナリストとしてパレスチナ問題に取り組み、ベイルートなどを何度か取材しているうちにパレスチナ人民戦線の幹部たちと仲良くなり、彼らからジャミーラ(美しい)と呼ばれるようになった。イサム・ノグチとの結婚でも知られる。この波瀾の人生は舞台化され、劇団四季のミュージカルにもされている。


以上。
日本人夫婦の間に中国で生まれた山口は、戦前は中国人、または日中のハーフというふれこみで、歌手デビュー。「夜来香」「蘇州夜曲」などが大ヒット、映画『支那の夜』なども興行記録を樹立し、満州国、中国、もちろん日本本土でも今日のアイドル的扱いをされ大スターになった。当時最高の劇場といわれた銀座の日劇公演では日劇のまわりを七回り半の行列ができたという伝説になっている。

東洋のマタハリと呼ばれた川島芳子(『ハーフマニア』の同じく偽ハーフのコーナー、P96)とも交流があったと生前語っていましたが、太平洋戦争が終わると日本に加担した(漢奸つまり裏切り者)中国人として捕らえられ、川島同様に処刑されるところを間一髪で日本人であることが証明されて帰国したという。

戦後は山口淑子として女優に復帰、黒澤明監督の『醜聞』で三船敏郎と共演するなど活躍した。日本語・中国語・英語が話せたのでハリウッドでも注目を浴びて『東京暗黒街竹の家』『東は東』『Navywife(Mother sir)』などハリウッド映画に主演。またブロードウエイミュージカル『シャングリア』、TVドラマ『津波』、人気バラエティ番組のエドサリヴァン・ショーへの出演も果たし、アメリカでもよく知られる存在になった。中国復帰前の香港映画にも何本か出演してしていて香港、台湾でもスターだった。

日米ハーフで世界的に知られた芸術家イサム・ノグチ(『ハーフマニア』P187・イサム・ノグチ)と結婚し話題を呼んだが、これは数年で破局し離婚。後に山口は日本の外交官と再婚した。


テレビの主婦向けワイドショーの司会者に抜擢された時は、「国際的女優」の顔を活かして「主婦向け」なんかじゃなく国際政治的に問題の多い地域を精力的に飛び回って取材をして、当時の皆を驚かせた。何しろ北朝鮮や中東といった、当時としては並みのジャーナリストではとても出来ないような取材旅行をしてのけた。あの重信房子にもインタビューをしているのだ。だからパレスチナからも尊敬されて「ジャミーラ」の名前を貰っている。

それから政治家への華麗な変身。自民党参議院議員としていろいろな役職をこなした。女性議員としてもかなり有能だった。
…それにしても大変な才能と情熱の持ち主だと思いませんか?
日・米・中、中東のどこの国からも敬われる日本人って彼女以外にこれから現れるのでしょうか?
本当に世界に誇れる日本人の一人だったと思います。

94歳。大往生といえるかもしれません。合掌。



参考資料は以下。自伝を読むと、5人分の人生が味わえる!これが同じ人???って。
舞台にもなっているが、もはや大河ドラマか朝ドラ。いつかNHKで映像化されるだろう。

李香蘭 私の半生 (新潮文庫)

李香蘭 私の半生 (新潮文庫)

「李香蘭」を生きて (私の履歴書)

「李香蘭」を生きて (私の履歴書)

↓これは『ハーフマニア』の出版社、社会評論社の発行。
李香蘭というよりも筆者の満州国での体験が赤裸々に語られている。
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世界のクロサワの作品だが、ちょっと地味な映画。
ただ、今日のマスコミの有りかたのようなものを予言したような感じで
う〜んと考えさせられる。この映画に登場する山口はいやらしい言い方をすると
とても「油がのった実にいい女」だ!↓