蘇えれ!松田優作!

ちょっと前になりますが14日のNHKBSプレミアムで映画『人間の証明』が放送されていたので、何年かぶりで観ました。『ハーフマニア―日本の有名人の混血をカリカチュアで大紹介!』に登場する松田優作が主役で、ジョー山中が出番は少ないが準主役といった重要な役どころと主題歌を担当している。僕が最初にロードショーで観たのは高校生の頃(いまだに当時の劇場パンフレットを持っている)で、その後僕が業界に入ってからこの映画のプロデューサーだった人と仕事を共にすることになって、この映画の裏話みたいなのをいくつか聞いたことがあったので、ちょっと思い入れがある映画なのだ。

今回改めて観ると、スケールは大きいし、いい役者がゾロゾロ登場して見どころはたっぷりな反面、詰め込みすぎてやや粗い部分も見受けられました。肝心の松田優作はまだ大スターへの道を歩み始めたばかりなので、ファンにとっては彼のアクションも演技も物足りない感じがします。というわけで今回は松田優作であります。


丹野雅紀作


ハリウッド進出一作でこの世を去った不世出な天才俳優
松田優作

まつだ・ゆうさく
(1949 年9月21日〜 1989年11月6日)

母が在日朝鮮人
誕生日は1949年9月21日と書いたが、母が出生届けを出したのは1952年8月。しかも1950 年生まれと1年遅く偽って届けている。これは優作が学校に上がった時、同級生よりも体が大きく知恵も上で有利になるだろうという母なりの計算があった。母は在日コリアンで金(キム)かね子という。夫も在日で松田武雄と日本人姓を名乗り、日本兵として応召され1943 年にニューギニアで戦死している。つまり、優作は武雄の子ではない。優作の父はかね子のところに出入りしていた長崎の大村という日本人である。
戦後、未亡人となったかね子は、山口県下関市闇市の品物を売りさばく行商などをしていた。「かなり際どい」仕事もせざるを得なかった。残された二人の息子を育てるために必死だった。戦後4年を経て質屋を始めた頃、保護司(前科者を更生させる仕事)としてこの町にやって来た大村と知り合った。大村は180センチ近い大男で、かね子は大村に夢中になった。やがて同棲、優作を身籠った。しかし、かね子が妊娠したことを告げると大村は動揺し姿を消した。かね子が調べると大村には妻子がいることが分かった。結局、かね子は大村と別れ、優作は私生児としてこの世に生を受けた。こうして優作は二人の異父兄とともに下関の遊郭街で母の手ひとつで育てられた。自宅の一部は夜の女たちの「仕事場所」。隣はヤクザの一家だった。暴力と淫猥と差別が日常茶飯事に闊歩するこの環境が優作に与えた影響は計り知れない。母は、優作が生い立ちや国籍のことで引け目を感じないようにとの親心で出生届を偽ったのだった。兄たちは、母が優作を特別にかわいがり、また厳しく躾けていたという印象があると後に語っている。優作は10歳になるまで自分の出生の秘密を知らなかった。

しかし、「生まれて来ない方が良かったんじゃないかってネ」(雑誌『With』インタビュー)とその頃の気持ちを後に述べている。小学生の時から家を出たくて仕方が無かった。友達にコリアンだと知られたくなかった。優作は成長するとアメリカで国際結婚した叔母を頼り米国留学を1年経験、その後は上京して関東学院大学に通った。しかしこの頃すでに彼の夢は映画スターになること。スターになって皆を見返してやりたい。そんな思いがあった。やがて名門劇団・文学座の試験に通り、大学は中退し文学座研究生となった。何事にもまっすぐで妥協を許さぬ彼の努力はここで大きく実った。1973年、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』にジーパン刑事として異例の抜擢を受けた。身長185センチの体をフルに活かした優作の「走り」や切れの良いアクションは、これまでの刑事ドラマに見慣れていた視聴者の度胆を抜き、一躍脚光を浴びる。とりわけジーパン刑事が殉職するエピソードは今なおテレビ史上の名シーンとして語り草となっているが、その時アドリブで放った「なんじゃあ、こりゃあ!」と言う台詞は故郷の山口弁である。

この頃、優作は当時の妻・松田美智子のコネを使って日本国籍を取得した。帰化する動機を綴った懇願書には
「『太陽にほえろ!』の視聴者はお年よりから子供まで幅広く、家族で楽しめる番組です。現在は松田優作という通称名を使っているので番組の関係者にも知られていませんが、もし僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが失望すると思います」
優作はこんなことを考えていたのか…。美智子は泣き出しそうになったと後に著書『越境者 松田優作』に書いている。在日コリアンでいることがこんなにも彼の心に重く…。

優作は常にストイックな姿勢で仕事に向かった。どの映画、どのテレビ番組にも真剣に取り組んだ。細部まで全く手を抜かない迫真の演技。酒の席でも仲間や監督たちと本気で芸術論、演劇論を闘わせた。喧嘩っ早く暴力沙汰までエスカレートすることも多かった。アクション俳優として主役を張る人気ぶりだったが、1983年に出演した森田芳光監督の『家族ゲーム』での感情を押し殺した斬新な演技が高い評価を得て、演技派への転進に成功した。この映画で優作は念願のキネ旬主演男優賞を受賞。この知らせを受けて本人より喜んだのは母・かね子であった。だが、その直後にかね子が倒れた。何年も会っていなかった母に優作は下関の病院で再会した。すでに意識は無かったが、優作は母の手を握り「母ちゃん!」と叫んだ。母はその声に反応し強く握り返したという。だが必死の願いも空しくかね子はこの世を去った。

そして1988年、優作はハリウッド映画『ブラック・レイン』の佐藤役のオーディションを受けた。このオーディションには一流スターから無名俳優まで200人も応募したと言われるが、製作者兼主演のマイケル・ダグラス、監督ら、主要スタッフが全員一致の意見で優作に即決した。
しかし…優作の体はすでに癌に侵されていた。優作はそれを極秘にし、激痛をこらえて撮影に臨んだ。苦しく辛かっただろうが、それを全く周囲に感じさせなかった。映画は完成した。優作の正に命をかけた迫真の演技は世界の映画ファンを唸らせ、映画は日米で大ヒットを記録する。すでにハリウッドからはロバート・デ・ニーロとの共演作のオファーも来ていた。だが、優作はその期待に応えることは出来なかった。再婚した妻・美由紀らが見守る中、この世を去った。満40歳。息を引き取る寸前、彼の目から一筋の涙が流れたという。優作の墓にはただひとこと「無」と刻まれているが、優作が残した二人の息子、龍平・翔太は父が果たせなかった夢を継ぎ、現在俳優として活躍している。決して「無」ではなかった。


以上『ハーフマニア』より。
彼の存命中は在日コリアンであったことは一切伏せられていた。今回、優作の資料をいろいろ読んでみて、一番参考にしたのは次の3冊である。

大下英治著:『蘇える松田優作』(廣済堂文庫)
山口猛著:『松田優作 炎 静かに (知恵の森文庫)』(教養文庫・知恵の森文庫)
松田美智子著:『越境者 松田優作 (新潮文庫)』(新潮文庫
それぞれ大変な労力を費やした名著で、俳優・松田優作を知る上では欠かせない貴重な作品です。この3冊あればほぼ優作の全貌がわかるといっても過言ではないでしょう。
大下英治は有名なルポライターで優作の周囲の人々に具に取材し、彼の生い立ちから死までを見事に纏めているが、肝心のコリアンであったことには触れられていない。山口猛は優作と深い親交があったライターで、映画製作現場での優作と人なりをこれもキチンと書き綴った力作ではあるが、やはり優作の生まれについては「家庭環境は複雑だった」ことしか書かれていない。だが、優作の前妻だった美智子は、優作の苦悩を目の当たりにしているから、彼の出自をはっきりと示している。優作の生い立ちの詳細や数々のエピソード、優作の心の奥底までかなり踏み込んだ緻密な姿が描かれている。松田優作が何故あれほどまでにストイックに仕事に打ち込んでいたのか、ようやく理解できて、この本には本当に心揺さぶられました。因みに『僕たちのヒーローはみんな在日だった』(朴一著)でも優作のことが紹介されていますが、ほぼこの『越境者 松田優作』を基に書かれています。

さて、余談ですが『ブラックレイン』の佐藤役のオーディションには200人が集まったと書きましたが、結局4人の俳優に絞られました。その4人とは、優作、萩原建一、根津甚八小林薫だったそうです。優作は『太陽にほえろ!』の先輩だった萩原を常に意識しており、彼に勝って役を得たことを非常に喜んだとのこと。それであの迫真の演技。「アカデミー賞候補」との声もあった。試写を終えた高倉健は「これからは松田優作の時代だな」と周囲に言ったそうですが、それは残念ながら実現しなかった。優作は本当に悔しかったろうと思います。僕らファンも惜しくてたまりません。もしあのまま彼が生き延びていたら、渡辺謙真田広之浅野忠信を遥かに超えたハリウッドスターになっていたはず…。
息子の龍平、翔太は順調にいい役者に育っているので、その夢をどうかつないで欲しいものですねえ。

というわけで次回はジョー山中

観るべき映画
人間の証明 [DVD]
↑当時の優作は英語の台詞を言うのに精一杯で、思うような演技が出来なかった。共演のジョージ・ケネディが「彼は本当に日本で有名なのか?ワンパターンな演技しかできないじゃないか」とロケ現場で言ったそうだ。作品のテーマが『ハーフマニア』に通じるところもあるし他にもいろいろエピソードがあるのでまた別の機会に詳しく書きますね。


家族ゲーム [DVD]
↑「豊島園なら一番で入れますよ」の台詞には大笑いした。この映画についても語り始めたらキリが無いのでまた別の機会に。


ブラック・レイン デジタル・リマスター版 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
↑これもまだまだ書きたいことがたくさんある。↓こちらも多少ご参考に。
外国映画に描かれた日本とは?日本が主役編
ひとつだけエピソード。
リドリー・スコット監督は優作に「この映画は殴ったり殴られたりのアクションがある。あなたに出来ますか?」と尋ねた。『遊戯シリーズ』での優作のアクションを見ていたのにである。まず監督が優作の演技の素晴らしさを買ってくれたことの証しであり、その時の優作は本当にうれしそうだったと前妻・美智子が証言している。
最後に余談もうひとつ。美智子は1989年11月6日の朝、愛用の腕時計が止まっているのに気が付いた。電池交換したばかりで時計屋に持っていったが原因不明。それは優作が死んだまさにその朝のことだった…(『蘇える松田優作』より)