祝!オールスター初登板ダルビッシュ!

7月15日(日本時間今日16日)、ダルビッシュメジャーリーグの第85回オールスターゲームア・リーグの3番手として三回から登板し、1回無安打1奪三振という成績を残した。意外だったのだが、新人から3年連続でオールスターに選出されたのは、長いメジャーの歴史でもたった4人しかいないそうだ。彼ほどの投手でもこれまで登板が無かったのというのもちょっとびっくりだが、さすが実力者・人気者揃いのメジャーだけあって当然なのかもしれない。とにかく今年は素晴らしいピッチングで新たな伝説を残すことになった。
というわけで今回の『ハーフマニア―日本の有名人の混血をカリカチュアで大紹介!』完全版はダルビッシュ有です。

↑渡辺孝行作



アメリカ留学中にサッカーに熱中していたイラン人の父親

ダルビッシュ有
ダルビッシュ・ゆう Yu Darvish 1986年8月16日〜)

父親はイラン人・ダルビッシュ・セファット・ファルサ。母・郁代は大阪出身。ファルサは1960年イランの首都テヘラン生まれ。
当時のイランは親米派パフラヴィー朝時代。ファルサの父親は旅行代理店を営んでおり、その立場を利用して、息子のファルサをアメリカのマサチューセッツ州の高校に留学させた。ファルサはフロリダ州のタンパにあるエッカードカレッジに進学、サッカーとモトクロスに打ち込んだ。そこに留学してきた日本人女性・郁代と知りあった。


1986年、二人は結婚、大阪・羽曳野市で父が英会話教室を営み、そこで有は生まれた。弟が2人いて、末弟のKENTAは俳優になっている。幼い頃は家の中の会話は英語。だが、一歩家を出ると土地柄か血気盛んな河内弁だった。父はサッカー選手だったが、有が最初に選んだスポーツはサッカーでも野球でもなくアイスホッケーだった。小3から急激に身長が伸び、かなりの期待をされたが、小4の時から野球に専念した。もともと負けず嫌いのダルビッシュはこの頃から相手の打者に闘志をむき出しにしたという。

この頃、同級生に「ガイジン」とからかわれ、取っ組み合いのケンカになった。有はその頃からすでに人一倍大きかったので、先生まで相手を庇ったという。父はそんな有を決して甘やかさなかった。父は有の所属する野球チームのトレーナーになった。すでに小学生離れした球を投げた有を「このままでは天狗になる」と、父はライバルになる子をわざわざチームに入れて二人を競わせたという。
だが、「何故自分の父は日本人じゃないのか!」と母に食ってかかったことも何度かあった。中学生になった有は父がグラウンドにいることを恥じ、当時の監督に父を辞めさせるように頼んだ。監督は有にビンタを浴びせ、「お父さんが慣れない国でどれだけ苦労したか分からないのか!」と一喝した。この熱血監督に有は絶対の信頼を寄せ、才能をグングン伸ばしていく。そしてどんな苦境に陥っても決して挫けない不屈の精神力もこの時期に身につけた。


有は中3ですでに190cmを超える身長があり、140kmの速球を投げた。そればかりか数種類の変化球をマスターしていた。日本代表に選ばれ、アメリカで開催された世界大会で3位という成績を残した。50を超える高校からスカウトされたが、有はその中から仙台の東北高校を選んだ。高校時代も圧倒的な成績を残し、3年間で4度の甲子園出場を果たした。3年の春の選抜大会ではノーヒットノーランも記録、計7勝をあげ全国にその名を轟かせた。

この高校時代、ヤンチャでも知られる有は喫煙しているところを週刊誌に撮られ厳重注意を受けた。
そしてドラフトで交渉権を得た日本ハムには、父同席のもと、契約金1億、年俸1,500万、出来高5,000万円という破格の金額で入団。だが入団直後(まだ未成年)もパチンコ屋で煙草を吸っているところを撮られ謹慎処分になる。日本中からバッシングを受けた。しかし野球の成績は別だ。日本ハムでは開幕投手を務め、2006年には日本シリーズ2試合に登板し日本ハムの44年ぶりの日本一に貢献した。日本ハム時代は7年間で通算奪三振1259、防御率1.99という驚異の数字をあげ、沢村賞、MVPなど受賞多数。北京オリンピック、WBCでも全日本のエースとして大活躍した。


2012年、子供の頃からの夢だった大リーグテキサス・レンジャーズに6年総額6,000万ドルという超高額契約を結び入団。メジャーデビューした4月にはもう4勝をあげ、リーグ月間最優秀新人賞を受賞するなど期待通りの快進撃を続けている。雑誌でセミヌードを披露したり、タレントの紗栄子と結婚し2児をもうけるも4年ほどで離婚するなど「お騒がせ」者の一面もあるが、レンジャーズへの移籍が決まった時に日本ハムの本拠地・札幌ドームで1万人のファンを前に行った記者会見では、「日本のバッターたちから試合前からもう無理とか、打てないとか、そういう話が冗談でも聞こえてきた」とし、ダルビッシュを倒したいという気持ちはないのか、僕は勝負がしたい!(だからメジャーに行くんだ)」と、これぞダルビッシュ!という強い思いを表明した。厳しいイラン人の父のスポ根ドラマのようなスパルタ教育と大阪・羽曳野で育まれた強気でストレートな性格が有の最大の魅力であり、武器だ。

レンジャーズでは2012年のシーズンに16勝221奪三振を記録。2013年のシーズン初頭には何と9回2死まで「完全試合」という偉業を成し遂げた。日本球史に残る、いや、メジャー史に残る大投手になるのは間違いない。



以上『ハーフマニア』より。
この『ハーフマニア』執筆後のメジャーでの成績も抜群で、最多奪三振記録も残し、「あと一歩で完全試合」みたいな試合も何度かある。怪我に気をつけてもう少し安定したピッチングが出来れば、本当にメジャー史に残る大投手になるだろう。あれだけ期待された松坂が怪我で途中からしょぼくなってしまったという例もなるので。

とにかく彼は、父から受け継いだ運動神経と体格、負けじ魂が最高の魅力で、あの一本気で強気のピッチングはもちろん、長身のイケメンぶりがカッコイイ。メジャーの試合を見ていても他の選手と比べても見栄えが格別に良くって惚れ惚れする。と僕は思うんだが。


最後になりますが、イラン人の父とイランについて『ハーフマニア』では書いていないことがあります。イランはパーレビ国王による王政時代は親米であり、アメリカの協力を得て「近代化政策」を推し進めていました。父ファルサが生まれたのはこのパーレビ時代であり、彼がアメリカへ留学できたのはそうした事情がありました。ところが1979年にホメイニ師を指導者とするイラン革命が勃発し、王朝が倒されて厳格なイスラム原理主義国家となってからは、英米と対立、国際的にも孤立化しました。ファルサが郁代を頼って来日することになるのは、母国に帰れなくなったといった事情もあるようです。もちろん、郁代への熱烈な愛もあったでしょうが。


ホメイニ師死去後のイランは不安定な状況がなお続き、イラクとの戦争、イスラエルとの紛争、核開発問題など次々起こり、まだまだ解決できてないどころか、イスラム教徒同志の激しい対立と産油国間の駆け引きも絡んで世界中を巻き込む大問題に発展している。特に最近のISISを巡る近隣諸国と欧米諸国の関係をみると現在の世界はかなり危険な状態といえるのでは。ダルビッシュアメリカでの活躍を見てそんなことを考えさせられました。


参考資料
週刊文春』(2012年5月3・10日号)


↓一番詳しい評伝。両親の出会いなどが書かれている。


↓中学時代の恩師の本

猛将の教え 私が知る素顔のダルビッシュ有

猛将の教え 私が知る素顔のダルビッシュ有


↓彼自身は何の宗教を信じてるのかわからん。
十字架を背負っているのだろうか?

ダルビッシュの背負う十字架

ダルビッシュの背負う十字架


↓メジャーでもライバルになるマー君との関係など
佐藤義則 一流の育て方 ダルビッシュ有 田中将大との1600日



Iconic ace Darvish pushes Japan's boundaries