『革命の子どもたち』重信メイ

7月5日にドキュメンタリー映画『革命の子どもたち』が公開されました。
公式サイト↓
映画『革命の子どもたち』公式サイト

日本赤軍の活動家・重信房子とその娘メイらの熾烈な人生を描いたものです。これに対応してか今発売中の週刊文春(7月10号)の『阿川佐和子のこの人に会いたい』はその重信メイをゲストに、彼女の極めて波瀾に富んだ半生が披露されていて、改めて衝撃を受けました。
というわけで今回の『ハーフマニア―日本の有名人の混血をカリカチュアで大紹介!』は重信メイです。



川上麻衣子作↓

アラブの英雄?テロリスト?重信房子の娘
重信メイ
(しげのぶ・めい 1973年3月1日 〜)

父がパレスチナ

パレスチナ問題など中東情勢を専門とするジャーナリスト。
メイは漢字では「命」と書く。革命の命である。母は左翼運動家・日本赤軍の元リーダー重信房子。房子は明大在学中に学生運動に関わり、極左組織の赤軍派の創立メンバーとなる。後に連合赤軍を結成するメンバーと意見が対立、1971 年同志・奥平剛士らとともにパレスチナに活動の場を移し「日本赤軍」を結成。パレスチナ解放人民戦線などイスラム系過激派組織と連携し、「パレスチナ民族の解放・土地奪還」「対イスラエル」の名目でハイジャックやテロなどの事件を起こし世界的に注目された。
パレスチナレバノンやヨルダンなどを転々とする活動の中、同志たちと共同生活を営んだ。メイはそこで1973年3月1日午前0時20分に生まれた。母がベイルートに着いたぴったり2年後の日時だった。メイの手のひらには1円玉大の真っ赤な円があり、同志たちから「太陽を握って生まれて来た娘」と呼ばれたという。
メイは母と同志らに育てられた。男はすべて「お父さん」、女はすべて「お母さん」、子供たちはみな「兄弟姉妹」だった。「本当のお父さん」はパレスチナ人で「何回か会ったことがある人」だった。父とは名乗らないし、母も教えてはくれなかったが、メイにはこの人だとわかっていたという。彼は後に戦死したと伝えられている。
8歳の誕生会にメイは母や同志たちから「日本赤軍」のことを打ち明けられた。メイはもちろんそんなことはとっくに知っていたのだが、初めて大人扱いされたと感じて誇らしかったと振り返る。だが外ではメイは自分が重信房子の娘であることを隠し続けた。それどころか日本人であることも隠し、母と外出する時も英語で会話をした。母は、イスラエル
日本・インターポールから指名手配されていたからだ。それはお互いの身を守るためだった。母の本名を知ったのはメイが高校生の時というから徹底している。母は、メイが一人になっても生きていけるよう願い、さまざまなことを教えてくれた。日本の伝統や文化、中東の民族や宗教なども話してくれたという。そんな母は、メイが中学に通う頃から活動が忙しくなり、ほとんど会えなくなってしまう…。
2000年11月、ベイルートレバノン大学でジャーナリズムを学んでいたメイの元に衝撃のニュースが伝わる。「重信房子が日本で逮捕された!」
急いで帰ってNHKの衛星放送を見る。

「ああ、お母さん…だ。」

ベイルートでも母の逮捕はトップニュースで伝えられた。アラブの英雄の逮捕を許していのか?という論調がほとんどだった。母に会いに行くために、メイは全力を尽くした。親友や恋人に自分の「正体」を明かした。誰もが驚愕したが、誰もが涙し理解し協力してくれた。メイは生まれてから一度も国籍を持ったことが無い。同志や友人、弁護士らの支援を得て何とか日本国籍を取得した。2001 年、桜の咲く季節、メイは初めて日本の土を踏んだ。警視庁の面会室で数年ぶりに母と会った。プラスチックの板ごしにお互いの手のひらを合わせた。しばらく声が出なかった。メイは母の前では泣くまいと決めていたが涙があふれて止まらなかった。めったに泣いたことのない母の頬にも涙が伝わっていた。

現在重信房子は懲役20年の刑が確定し刑務所で暮らす。ガンが見つかり、医療刑務所で病気と闘いながら服役している。メイは日本でジャーナリストとして活躍しているが、「テロリストの娘」として差別や非難をあびることも少なくないという。だが、信念を通し続け、虐げられた人々のために身を挺して戦った母を心から尊敬している。「この母の娘に生まれてよかった」と。


以上、主な資料は彼女の自伝『秘密―パレスチナから桜の国へ 母と私の28年』が基です。
参考資料

秘密―パレスチナから桜の国へ 母と私の28年

秘密―パレスチナから桜の国へ 母と私の28年


面会のところ、僕は本当に泣きました。こんな人生を送っている母娘がいるなんて…。
因みに僕は重信房子と同じ明治大を出ています。学生運動が活発だった時代からすでに10年近く経っていたので、かなりノンポリ(死語?)な学生生活を送っていましたが、所属していた映画研究部の部室の隣が「社会科学研究会」か何かで、左翼活動家の拠点らしく、どう見ても怪しい連中が出入りしていて噂では「かつて重信房子が所属していた」と実しやかに囁かれ、ちょっと怖かった思い出があります。そんなわけで重信房子にはちょっとした親近感があり、その娘がジャーナリストとして日本で普通に活動しているということもかなりの興味がありました。

週刊文春の記事には自伝『秘密』にて告白されていること以外の新しい話題や情報はあまりありませんでしたが、イスラエルには(敵として)暗殺すべき人リストがあり、重信メイもおそらく載っているだろうが、「先に暗殺したい人はおそらくいっぱいいるはず」と自分のランキングは落ちているので大丈夫みたいなことを言っている。いやはやまだ安心して暮らせないというのに何てタフな人なのだろう。

最後に下世話な話で恐縮ではありますが、重信房子はなかなかの美人で、ハーフの娘メイはそれに拍車をかけた超美人で、モデルとか女優とかといっても通用しそうなほどであります。もちろん大変なインテリであり、美と教養を備えた女性です。「将来は中東と日本をつなぐような仕事をしたい」ということで、日本人には理解しにくい中東問題を紹介することに尽力していくそうだ。



これはメイだから書けた、力作です↓
「アラブの春」の正体 欧米とメディアに踊らされた民主化革命 (角川oneテーマ21)


故・若松孝二監督は日本赤軍連合赤軍をテーマにした映画を2本撮っていて重信房子とも交流があった。
↓これは自宅を抵当に入れ撮影資金を作り、監督の別荘をあさま山荘に仕立てぶっ壊して作った作品。劇中に重信房子が登場している。

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]

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