ボジオ、ザッパと出会う。

http://d.hatena.ne.jp/yunioshi/20060610
昨日に引き続き。

テリー・ボジオフランク・ザッパのバンドのオーディションを受けた時、彼は25歳。それまで地元のジャズバンドなどで活躍していたが無名に近かった。
フランク・ザッパはあれだけ変態だの言われて「なんじゃこれは?」みたいな曲ばかりなのだが、それだけにありとあらゆる音楽に通じており、実は彼は音楽の高等教育も受けていることもあり、完璧までの楽譜を書き上げ(当時オーケストラのスコアが書ける唯一のロックミュージシャンと言われていた)、バンドのメンバーには一音一音その楽譜通り忠実に演奏することを求めた。メンバーはクラシックの音楽家のように彼の指揮の下、彼の表現したい芸術を再現した。ほとんどのメンバーはライブでもほとんどアドリブなどはできなかったという。だから、オーディションでは応募者に高い読譜力を求めた。ボジオの時も次のような逸話が残っている。


 スタジオ。オーディション会場。応募者がパイプ椅子に50人くらい並んで座っている。
 中央にドラムセット。その前にフランク・ザッパとそうそうたるメンバーが並んで座って
 エントリーナンバー1番のジョン・アダムスさん(仮名)の演奏を聴いている。
 アダムスさん、緊張のあまりミス連発。
ザッパ「あ〜アダムス君。もういいよ。じゃ、そこのポケットティッシュ持って帰ってね。」
 アダムス、がっかりして去って行く。
係の人「では、次の人。アルファベット順だから…ボジオ君。テリー・ボジオ君」
ボジオ「…」
 ガムを噛みながらボジオ、ドラムセットに座る。
ザッパ「ふむ。ステージ度胸はあるみたいだな。(履歴書を見て)ジャズやってたって?」
ボジオ「多少ね」
ザッパ「じゃ。これやってみて」
ザッパ、楽譜をボジオに渡す。
ボジオ、楽譜をちょっと見て、そのままドラムを叩き出す。
一同「おおっ」
 ザッパ、思わず身を乗り出し
ザッパ「あれ?できちゃったよ。こいつ」
ボジオ演奏終えて
ボジオ「もう、いいすか?」
ザッパ「あっ…ああ。いいよ。じゃあ、これも弾いてみて。ちょっと難しいかもね」
 ザッパ、別の楽譜を出す。
 ボジオ、難無く弾いてしまう。
 ざわつく会場。
ザッパ「あれれ?これ、ワッカーマンが弾けなかったやつなんだけど」
ザッパ、慌てて新しい五線譜にその場でドラム譜を書き、
ザッパ「じゃあ、これは?」
ボジオ「ほい来た(演奏しちゃう)」
ザッパ「これはできねえだろう?(別の楽譜を書いて出し)」
ボジオ「何の何の。(同じく)」
ザッパ「おお。こいつ何でもできるぞ。こりゃ面白い!今度はこういうの」
ボジオ「おっとそう来たか(弾いちゃう)」
 しばらくそんなやり取りをしていたが、そのころ、頭文字C〜Zで待っていた応募者たちは
「こりやダメだ」とオーディションも受けずにぞろぞろ帰りだした。
ザッパ「う〜ン。ボジオ君!君採用!」
ボジオ「あ、どうも」
ザッパ「じゃあ、早速だが来週から来てくれ。その前に実は質問があるのだが…」
ボジオ「何?」
ザッパ「どうして君上半身裸なの?」
 お後がよろしいようで。(多少フィクションが入っています)


こうしてザッパバンドに入った彼はそれからおよそ3年間、ザッパのアルバムに10枚ほど参加した。(ザッパのメンバーとしてはかなり長い方)
ドラムの超絶技巧をこなすだけでなく、その特異なキャラもザッパは相当気に入っていたようで、ボジオのために作った「アイム・ソ・キュート」では当時流行っていたパンクを茶化している曲だが、ボジオはこの難曲を歌いながら叩いている。
ロック史上最難といわれた『ブラックページ』もボジオがいたから作られた。結局この曲は作った本人たちも一度も満足に演奏できなかったと言われるが、ザッパ本人は相当気に入っていた曲らしく、晩年にシンクラビア(シンセサイザーシーケンサーの最高峰)で全パート打ち込みでレコーディングしているくらいだ。ボジオ恋しかったのか?
Zappa in N.Y.
(ボジオのライブではこれははずせない)

ボジオがザッパバンドで知り合ったエディ・ジョブソンに誘われて入ったUK時代の演奏が僕は大好きです。
ナイト・アフター・ナイト(ライヴ・イン・ジャパン)(紙ジャケット仕様)
(ブラッフォード以上の働きをしている!)

(ボジオ公式サイト。ドラムセットの大きさったら!組み立てるのに何時間かかるんだ?)
http://www.terrybozzio.com/