怪我の悪名とは。追悼田中徳三監督

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昨日『シェーン』には妙なカメラアングルで撮ったカットがあると書いたが、それはアラン・ラッドの背の低さを紛らわせるためという理由があった。それを書いていて思い出したんだが、日本映画には、もっと恥ずかしい理由でアングルが極端なものがあるんです。
1961年の『続 悪名』という映画。
この映画は「続」とありますが、同じ年に作られた『悪名』の続編。原作は今東光、脚本・依田義賢、監督は田中徳三。撮影は名手・宮川一夫。主演が勝新太郎と田宮次郎。後に勝新の妻になる中村玉緒も重要な役で出ている(若くてきれいダゾ)。


映画の舞台は昭和初期。満州事変が勃発し、戦争の色が濃くなった時代。大阪のヤクザたち、女郎たちが主人公である。この映画のラストシーン、ヤクザ間の紛争や女など様々な問題や葛藤を解決し、ようやく新しい生活に出ようとする、田宮次郎扮する若いヤクザ貞が、チンピラに刺され死ぬシーンである。


このシーンは日本映画史上に残る名シーンと言われている。
雨の中、貞が傘をさして歩いている。そこにチンピラがサッと声も無くやってきて刺して去っていく。何が起きたか分からないまま血を流して倒れる貞と、集まって来た野次馬たちを描いたたった数分のシーンだが、これをほとんど真下からのカメラアングルで役者の表情を撮り、また真上からに近いアングルで、様々な色の傘の動きを撮影することでこの顛末を表現した。

周りの景色を一切見せず、台詞もほとんど無い、かなりシュールな構図だが、主人公のひとりが静かに死んでいく何とも言えず切なく、胸が苦しくなるほど寂しい終わり方だった。


僕はこの映画を学生時代に見て、このシーンは当然演出でやっていたのだろう。
凄い映画だと思っていた。


今から10年くらい前にこの映画のカメラマンだった宮川一夫が亡くなり、NHKだかWOWOWだか忘れたが追悼番組をやっていて、このシーンの話が関係者が明らかにしていた。びっくりしたのは、これは演出でなくやむを得ない事情で行われた措置だったのだ。
というのは撮影スケジュールがずっと押してしまい、当初予定していたロケ場所に行く時間も予算も無くなってしまった。監督もプロデューサーも皆が頭を抱えた。
思案投げ首で宮川一夫
「じゃあ撮影所で全部やっちまおう」


「雨の中、外で刺される」というのは代えられないので、スタジオの中でなく、撮影所内の空き地で撮影することにした。当然カメラが人間目線ではスタジオの建物が見えてしまう。だからバレないように極端なカメラアングルとなってしまったというのが真相だった。
ようするに「苦肉の策」だったんですね。
ところがこれが後に「名シーン」と謳われるようになった。
「怪我の功名」ともいえますね。


だが、この話を聞いて僕は単なる「ごまかし」「だまし」ではないって思った。
数々の修羅場を踏んで来た名監督・名カメラマンだから出来たことだと思う。
宮川一夫溝口健二黒澤明のほとんど無理と思われるカメラワークの要求を数々実現して来た人だし、田中も溝口の下で修行を積んだ苦労人であり職人技といえるジャンルを問わずシャープな演出で知られた人だった。
下手な素人が思いつきでやったらおそらく大失敗したことだろう。


今でも日本の安っぽいテレビドラマを見ていると
なんでこのカメラアングルで撮ってるの?と思う奇奇怪怪な演出がよく見られる。
どこまでカメラワークを考えてやっているのだろうか?
カメラアングルや移動撮影、パンやティルトにはすべて意味があるはず。
単に奇をてらったり気分や思いつきでやっているのなら絶対にやめて欲しい。
(やむを得ずという理由が、番組スポンサーのライバル社の看板が映らないようにしているという理由も一部あるようだが、今はデジタルで修正が簡単に安くできるようになったはずなので言い訳に過ぎない)


ともあれ、『続悪名』は大評判となり、シリーズで以後15本くらい作られた。
死んだはずの貞も生き返って(違う人物として)人気を呼んだ。後には医者やパイロットなど知的な人物を役柄にした田宮二郎だが、若い頃はこのシリーズで関西弁を話すヤクザ役で人気を決定付けたのだった。


ということで田中徳三監督だが、この悪名シリーズの他、勝新の絶大な信頼を得て『兵隊やくざ』シリーズや『座頭市』などで組んで活躍した。勝新太郎の恩人である。近年はテレビの時代劇や『ハングマン』シリーズなども手がけていた。


今日、NHKのニュースで訃報が述べられていた。昨日亡くなったそうである。87歳。
うーんこれもシンクロニシティ!?
とにかく合掌。ご冥福をお祈りします。