歴史に残るギター合戦とは!?

ジョージ・ハリスンエリック・クラプトンは親友として知られるが、クラプトン様はビートルズの曲でメンバー以外でギターを弾いた唯一の人だ。有名な『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』である。
実はジョージのギターでレコーディングは一度終わっていたのだが、彼自身何か納得ゆかず、クラプトン様に打診した。クラプトン様は「ビートルズの曲に他のギタリストが弾いちゃダメだよ」と遠慮したがジョージに「俺の曲なんだから」と説得された。ビートルズのメンバーも最初は反対したが結局はクラプトンのプレイに圧倒されたようだ。速弾きでもないしフレーズも単純だがサスティーンを効かせた「泣きの音色」はクラプトンならではの技だ。この曲の主題は「ギター・ジェントリー・ウィープス」なので、まさにクラプトンのギターのおかげで光輝く結果となった。
ザ・ビートルズ
お返しにジョージはクリームに曲を贈った。『ブリッジ(BRIDGE)』
という曲だったが、クラプトンが読み間違えて「バッジってどういう意味?」と聞いた。「そっちの方が面白いじゃん!」という訳で『バッジ(BADGE)』になった。ジョージもギターで参加している。ちなみにどちらのアルバムにも名前はクレジットされてない。
グッバイ・クリーム
さてその後の二人、有名な話だが、クラプトンがジョージの奥さんパティに惚れてしまい、一時は険悪な関係になってしまった。『いとしのレイラ』でクラプトンはパティへの思いをあからさまに歌い、パティもクラプトンになびいてしまったのが分かったジョージは、クラプトンに対決を申し込んだ。「ギター持って俺んちに来い!ギターがうまい方がパティをとる。それでどうだ!」。
パティや友人らの立ち会いのもと、世紀のギター対決が延々と繰り広げられた。彼らの共通の友人で俳優のジョン・ハートはこの対決に立ち合った一人で「演奏は二人とも相当鬼気迫るものだった」と証言している。だが誰の目にも勝負は明らかだった。やがてジョージが演奏をやめ負けを認めた。”公正な方法”として、こうして奥さんはクラプトンのもとに行った。そしてジョージとクラプトンはなおも親友であり続けた。もちろんジョージは最初から神様に勝てるとは思ってなかった。男の面子で対決という形を選んだのだった。そして親友を失いたくないという思いもあった。
…僕は今猛烈に感動している!ああこの対決見たかったなあ。
クラプトン様におかれてはこの奥さんパティとはさぞ末長く暮らしたかというと数年であっさり別れてしまった。そしてパティと暮らした幸せな時を歌った『ワンダフル・トゥナイト』と、別れた後のことを歌った『オールド・ラブ』という名曲を残した。『いとしのレイラ』を合わせて3曲もひとりの女性を巡って名曲が生まれた訳だ。彼女はきっとクレオパトラのように歴史に残る人物になるのでしょう。
いとしのレイラ
スローハンド
ジャーニーマン

さて、1991年12月、ジョージはクラプトンと一緒に日本でライブを行った。なんと彼は17年ぶりのツアーだった。僕はもちろんまっ先に行った。客はたぶん8割がジョージ(ビートルズ)ファンだったろう。とにかくビートルズ時代の曲が演奏されると大拍手だった。僕はクラプトン様のライブは初来日からほとんど欠かさず参詣しているので当たり前だと思っていたのだが、隣の(明らかにビートルズだけファン)の人たちがクラプトンのギターの音を聴き(たぶん初めて聴いたのだろう)、「うわっ!やっぱり凄いわ」と驚いていた。悲しいことだがそれほど差があった。神様クラプトンは現役でずっと世界ツアーをしていたわけで、それは仕方がないことではあった。
ジョージが亡くなったのはこれから10年後のことでした。
ライヴ・イン・ジャパン / ジョージ・ハリスン with エリック・クラプトン and ヒズ・バンド

で、俳優ジョン・ハートとは、
『エイリアン』で宇宙船のクルーで、エイリアンの幼虫に寄生され、お腹を食いちぎられてしまった人を
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エレファント・マン』では主人公ジョン・メリックを演じた。この映画では特殊メイクで一切顔が出ないにもかかわらずオスカーノミネート!した名優であります。
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(音がすごいんだよこの映画)