岡田眞澄とE.H. エリック

ハーフマニア―日本の有名人の混血をカリカチュアで大紹介!』、今回はスターリンそっくりの岡田眞澄です。


↑渡辺孝行作


兄はビートルズ来日公演の司会者E.H. エリック


岡田眞澄
(おかだ・ますみ 1935 年9 月22 日〜 2006 年5 月29 日)

母がデンマーク


父は日本人画家の岡田穀(みのる)、母はデンマーク人のインゲボルグ・シーヴァルセン。母はコペンハーゲンで13人兄弟の末っ子として生まれた。20歳の時、フランス・パリに出てカフェでバイトをしながらバレリーナを目指した。この頃、画家を目指す若きアーティストたちはカフェに集まり芸術や人生について語り合っていた。インゲボルグはそこで日本人の画家・岡田穀と出会い、ふたりは恋に落ちた。そして結婚。移り住んだニースで長男・泰美(たいび・後のタレントE.H.エリック)と二男・眞澄を生んだ。貧しくつつましい生活を送った岡田一家。だが、第二次世界大戦の激しい戦禍に見舞われ、一家は台湾の親戚を頼り手荷物一つ持って移り住む。台湾では西洋人の母はスパイ扱いされ、憲兵隊に外出を禁じられるなど厳しい待遇を受けた。戦時中、苦しい生活の中で母はいつも息子たちに「エレガントに生きなさい」と言い聞かせた。眞澄は母の教育方針によってどんな時も優雅さを忘れなかった。やがて終戦。日本に帰国した一家は焼け野原となった東京の街を転々として過ごした。母は現在の日本青年館にあった在日米軍の施設で翻訳家として採用され、住み込みで働いて一家の家計を支えた。当時家族の同居は許されなかったが、母を慕う眞澄は施設に忍び込んで生活したという。


兄弟はいかにもハーフ顔なのに「流暢な江戸弁」を話していた。日本語しか話せない息子たちに母は「これからは英語ぐらい出来なければいけません」と二人を横浜のインターナショナルスクールに通わせた。英語やフランス語に堪能なのは日本で学校に通って覚えたからというのが驚きだ。

成長した眞澄は、兄のE.H.エリックとともに日劇ミュージックホールの座長の泉和助に弟子入りしたのをきっかけに芸能界入り。東宝第6期のニューフェースに合格。すぐに日活に移り1955年、俳優として映画デビューした。以来、スマートな二枚目俳優として映画、テレビドラマ、舞台はもちろん、モデルや司会者、英・仏語に堪能なことからミス・インターナショナルコンテストのホスト役としても活躍した。数々の美女と浮名を流し芸能界きってのプレイボーイとしても知られ、つけられたあだ名がジェラール・フィリップの当たり役にちなんだ「ファンファン」。だが眞澄は本来フェミニストであり持ち前のダンディさ・優雅さは男女問わず憧れの的だった。晩年はバラエティー番組にも引っ張りダコの
人気ぶりだった。デンマークに帰国していた母の最期に、母が知る唯一の日本語の歌を歌って見送ったという眞澄も2006年、食道ガンで亡くなった。


以上が『ハーフマニア』本文であります。


兄弟の父親・穀は、パリ留学時代に画家・佐伯祐三(『郵便配達夫』で有名)らと交流があったらしいが、画家としてはあまり成功した方ではないようだ。一家は第二次大戦中・戦後にフランス→台湾→日本に移り住んだというが、かなりひどい差別と迫害にも遭った。戦後、日本に帰国してからも金銭的に厳しい生活だったのは想像に難くない。眞澄らは母から「エレガントに生きろ」と言われても実際は食うや食わずの日々だったろう。それでも一家は常に前向きに考えて生きた。

岡田眞澄の母インゲボルグの伯母エリーネ・エリクセンは、コペンハーゲンの有名な人魚姫像のモデルだった(因みに作者はその夫)というから、もともと美形な家系だったのかもしれない。おそらく僕が初めて見た眞澄は、僕が小学生の時の人気番組『マグマ大使』(原作・手塚治虫)に出ていた主人公の父親役だ。当時、毎週夢中になって観ていたのだが、子供心に「こんな超ハンサムなガイジンがマモルのお父さん?」とびっくりしたものだ。

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一方E.H.エリックの方は当時CMなどに出ていて、耳を動かすという技?をよく披露していた。俳優というより芸人に近い存在だった。『ハーフマニア』の「偽ハーフのコーナー」に書いたトニー谷に認められて芸能界入り、すぐ泉和助に弟子入りし、日劇で修行を積んだという。この彼についても、ずっと後になってビートルズ来日公演の司会者だったという事実を知った。マモルのお父さん役の俳優・眞澄と実の兄弟だと知ったのもかなり後になってからである。
http://www.yunioshi.com/beatlesinjapan.html


ともあれ、兄弟は日本の芸能界においてはその才能と美貌ぶりで日本全国に知れ渡ることになった。

だが、ハーフの俳優が日本のテレビや映画で活躍するのはかなり難しい。役が限られてしまうからだ。岡田眞澄の時代は特にそうで、もろにハーフの容貌だから特異な役ばかりだった。少し気の毒なような気がする。『マグマ大使』以外のテレビ・映画でも「無国籍映画」みたいな作品の中で、外国のマフィアとかスパイ役ばかり演じていた感がある。本人談だとイタリアの巨匠ビスコンティに『山猫』の主演としてオファーをされたそうだが、諸事情で実現できず(実際はアラン・ドロンが演じた)、そんな事があったのならむしろ海外で活躍すべきだったのではとも思う。ハリウッド映画では『将軍』(1980 正確にはテレビミニシリーズ)でブラザー・ミカエル役というこれもチョイ役で出演。トンデモ映画としてつとに有名な『ハンテッド The Hunted(1995)』にも警部として出演しているが、

http://www.yunioshi.com/movies.html#Anchor535481

これは凄く颯爽と登場したので、何がしかの絡みがあるのかと期待していたら、あっという間にニンジャに殺されてしまい、全然活躍していない…。


晩年はとにかく「ダンディ」「セレブ」「モテモテおじさん」のイメージで、俳優というよりはバラエティ番組に活躍の場を広げていた。ファンファン大佐もそのひとつだが、本人は本当に嬉々として演じていたのだろうか?


彼がデビュー間もないころ出演した(僕が愛してやまない映画)幕末太陽傳については次回で。


エミー賞受賞作。当時このドラマで全米が日本ブームになった。
『将軍』
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↓これこれ!「間違った日本」を描く逸品!?
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